年末年始は3週間ほど日本に帰省し、先週ミラノに戻ってきました。ミラノに住んでもう15年になります。仕事や生活の基盤はミラノにあるし、妻ともミラノで出会いました。だからミラノに戻ってくると、少しホッとする感覚もあります。ここはすでに私にとっては第二の故郷のようなものなのです。
- 15年で2.5倍に高騰したミラノの公共交通機関(ATM)運賃
- 常態化する「無賃乗車」の実態と、放置されるシステムの不備
- 「自由で開かれた社会」という言葉に隠された、リベラル思想の衝撃
- 日本社会が直面する「多様化」と、個人の義務・責任のあり方
運賃は2.5倍に。しかし、蔓延する「無賃乗車」の現実
帰ってきてすぐ、「ああ、日本じゃなくミラノなんだ」と感じた出来事が一つ。公共交通機関の無賃乗車を目撃することがものすごく頻繁にあります。というか以前よりも間違いなく増えました。
ミラノの公共交通機関はATM(Azienda Trasporti Milanesi:ミラノの人のための輸送機関)といって、路面電車、バス、地下鉄を運用しています。このATMのチケット代金が、この15年間で2.5倍になっています。2011年にはチケット料金が1ユーロだったのに、現在では2.5ユーロです。もちろん定期券の料金も相当な値上げがされていますが、定期券の料金は年齢によっても異なるので、ここで紹介することは割愛します。個人的には公共交通機関の値上げ程度では全く財布には響きませんが、一方でなぜこんなに値上げがされたのかということについて、少し関心があります。
ザル同然の自動改札と、見て見ぬふりをする駅員
移民系の人々は少なくとも5割は無賃乗車をしているし、ヨーロッパ系の人も相当数がチケットを買っていません。カップルで一枚だけチケットを購入する人たちも見受けられます。ミラノの地下鉄も自動改札が導入されていますが、日本の自動改札のようにセンサーが優秀ではないのか、それともあえてそのような仕様にしているのかわかりませんが、前を歩く人に接近して改札に侵入すると、自動改札はそれを同じ一人の人だと認識するらしく、後を歩く人はチケットをかざさなくても改札を通過できてしまうのです。そしてあまりにもその数が多いので、駅員は見て見ぬふりをしている。
バスや路面電車についてはもっと深刻です。一回きりの紙のチケットについてはバスや路面電車内の打刻機で打刻する必要がありますが、定期券については打刻の必要がないため、車内に乗り込んでまっすぐに席に座っても、全く違和感がありません。だから誰がチケットを持っていて誰が持っていないのかは、見た目では判断ができないのです。
「これが自由で開かれた社会」友人たちの答えに受けた衝撃
不思議なことは、無賃乗車をしている人が大勢いて、バスや路面電車はその運用方法に問題があり、乗車時にチケットの確認を必須にするとか、地下鉄については純粋に自動改札のセンサーの精度をあげればいいだけのことなのですが、全くそれに取り組む様子がないことです。友人とこのテーマについて話をすると、「彼らは仕方がない」「知ってはいるけどどうにもできない」とこの問題について言及をすることには極めて消極的です。
彼らと話をしていて理解したことは、私の友人たちが無賃乗車をする人が大勢いる社会を「正しいことではないけれども、これが自由で開かれた社会」と考えているということです。私はこれ以上この話題について友人たちと議論をして掘り下げることはできなかったけれども、つまりはこれが世の中で「リベラル」と言われている人たちの物事の考え方なのかと、衝撃を受けました。
自由とは何か。義務と責任をないがしろにする「無法」への違和感
確かに世の中にはベーシックインカムや生活保護など、人々が人間として最低限の生活を送るために必要ないわゆるセーフティーネットは社会に必要だと思います。そしてそのセーフティーネットをみんなで支えるという考え方にも共感できるし、正しいことだと思います。けれども自由とはなんでしょう。ミラノで生活していると、本当にこのことをよく考えます。
自由と権利は、同じ社会に生活する全員に同じだけの自由と権利が保証されて初めて実感できるのであり、社会において背負うその責任の重さにより変化する「経済力」によって自由と権利の幅が少しだけ広くなるのです。しかしそうではなく、自分が負うべき義務と責任をないがしろにしてただただ自由と権利だけを主張する者は、他人の献身を掠め取る行為に等しい。そして決まってこのような人間は、他人に感謝をするということがありません。
日本への警鐘。私たちは今、社会のあり方を考え直す時期にある
日本でも、莫大な税金が生活保護目的で来日した外国人に悪用されたり、日本に税金を修めたことのない外国人が日本の社会保険に便乗して高額医療を受けたり、実態のない外国人が登記した会社への補助金に投入されているという悲しい実態があります。それが私たち国人が選んだ政治家たちが呼びかける「多様化」とか「リベラル」という思想のもとに実行されているわけですから、私たち日本人もこのあたりでもう一度、社会のあり方というものを真剣に考え直してみる時期にきているのではないかなと思います。
そんなことを、ミラノに戻ってきて思う今日この頃です。在外投票の案内が日本領事館から届いていました。来週、投票に行ってきます。
今しきりと世の中で言われている「多様性」と「グローバリズム」。では グローバリズム とは結局何なのか?「国家」や「文化」を否定し「画一化された世界」で誰が幸せになるのか?
あなたは人生の手触りを大切にしていますか?
































