連載第4回。ロシアの脅威を前に、日本は朝鮮半島の独立を促します。しかし、そこには複雑な国際情勢と、かつて秀吉をも激怒させた「日本人奴隷貿易」という歴史の深い傷跡が重なっていました。
ロシアの南下政策と朝鮮半島
ロシア帝国の南下政策とは、1800年頃からロシア帝国が黒海や地中海へのアクセス、そして冬でも凍らない港を求めて南方へと領土を拡大しようとした政策である。当初はバルカン半島や中央アジアへと勢力圏を広げようとしたが、大英帝国やオスマン帝国などの西ヨーロッパの諸帝国との対立に阻まれ、最終的には満州(現在の中国北東部)や朝鮮半島といった東アジアへの進出へと重点が移った。このことは1869年に明治維新を達成したばかりの日本にとって、脅威でしかなかった。朝鮮半島や中国北東部がロシア帝国の領土となると、ロシア帝国はそこから簡単に日本征服に向けて艦隊や軍隊を派遣しやすくなる。それを防ぐために、日本はどうしても中国北東部や朝鮮半島が海外の帝国の植民地にされることを阻止する必要があった。
日清戦争:緩衝地帯を求めて
近代日本が最初に経験した戦争は、日清戦争である。日清戦争は朝鮮半島を巡る戦争だった。前述の通り冬季に凍らない港を求めて南下政策をとっていたロシア帝国は中国北東部と朝鮮半島に関心をしてしており、これらの地域をロシア帝国の植民地にさせないことが日本を防衛するための必要最低限の条件であった。ここで問題となったのは清国と朝鮮の関係性である。歴史的に朝鮮は長い間中国の属国として存在していたが、前述の通り第二次アヘン戦争以降、中国はあらゆる帝国の半植民地と化しており、実際にいつ清国が朝鮮半島の権利を大英帝国やロシア帝国に譲渡させられてもおかしくない状態だった。そこで日本は朝鮮の中国からの独立を促し、積極的に朝鮮の政治に関わろうとし始めた。
当時の朝鮮では王政を維持しつつ開国・近代化を進めるという国政方針の矛盾が国内に混乱をもたらしていた。具体的にあ、地方役人の腐敗や不正による重税と、外国との不平等な貿易によるインフレが発生し、庶民たちの生活はますます苦しくなっていた。そこで日本は朝鮮における独立派である独立党によるクーデターを軍事的に支援することで、朝鮮を清国から独立させようとした。それが1884年10月17日に発生した甲申政変である。しかしこれは清国軍の介入により3日で鎮圧され、その事後処理として日本と清国の間に「天津条約」が締結された。天津条約とは、日本と清国の両国が朝鮮から軍隊を撤収させることと、将来においてどちらかの国が朝鮮に派兵する際にはもう一方の国に事前に通知すること、そしてどちらかの国が軍隊を派遣した際にはもう一方の国も朝鮮に軍隊を派遣することが許される、ということを約束するもだった。
そして1894年、また朝鮮で内乱が勃発した。それが日清戦争の直接的な要因の一つとされる甲午農民戦争である。このときも朝鮮政府は自力での反乱の鎮圧を断念し、清国に援軍を要請したが、このとき日本も先の天津条約に則って朝鮮に軍隊を派兵した。名目は朝鮮政府の支援である。必然的に日本軍と清国軍は対立することとなり、日清戦争に発展した。
そして日清戦争に勝利した日本は清国と下関条約を締結し、ロシア帝国とイギリスの言いなりだった中国から朝鮮半島を独立させることで朝鮮半島とロシア帝国とイギリスからの防衛の緩衝地帯とすることに成功し、加えて多額の賠償金や日本人の経済活動の自由、そして遼東半島(現在の北朝鮮の一部)、台湾、澎湖諸島という日本国外の領土を獲得した。この事実により日本も大日本帝国として国際社会の一員になり、他の帝国と対等の発言力を得ることで不平等条約の改訂に臨もうとしたのである。
帝国主義の中の「日本人奴隷」という記憶
この領土の獲得を侵略と言えるかどうか。当時の認識でいうと、これは侵略ではない。当時の世界地図は、大英帝国、ロシア帝国、オスマン帝国、フランス植民地帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、アメリカ合衆国(名称は現在と同じ)という様々な帝国とその植民地に大きく色分けされていた。それぞれの帝国は植民地からの経済的な搾取と奴隷貿易から得られた莫大な利益によって自国の経済と軍事力を拡大させており、それぞれの帝国同士は決して対等ではなく、その軍事力の差が発言力の差に直結していた。
前述の通り、当時の世界のほとんどは白人の植民地だった。白人たちは有色人種たちを強制的に束縛し、奴隷として自国で無給で働かせたり、彼らを売り捌くことで莫大な利益を得ていた。日本においても安土桃山時代に日本にやってきたポルトガル人たちが日本人を買い、奴隷として海外に売り渡していた事実がある。日本では豊臣秀吉が発狂したように突然キリスト教を禁止したとされているが、キリスト教を広めに日本にやってきた外国人が日本人を奴隷として海外に売り渡す事実に秀吉が激怒してキリスト教を禁止したというのが、その真相である。
けれどもそんな日本の事情と朝鮮半島や清国の人々は、本来ならば何も関係がない。彼らからしてみれば、ただある日突然「今日からここは日本の領土です」と言われて生活が一変したのである。それが当時の世の中のルールとはいえ、それには同情を禁じ得ない。
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【連載5/7】1900年代、内戦の渦中にあった中国大陸で、日本人の居留民たちは 想像を絶する暴力 に直面しました。なぜ平和を望んだ日本軍は、彼らを守り切ることができなかったのか。凄惨な事実を、ありのままに記述します。
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