Crascul-Ignission

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社会の違和感

労働を他者へ丸投げしたツケ。私たちが「暮らしの主権」を取り戻す4つの内省

SNSを開けば、そこには「移民反対」という叫びが溢れています。その怒号の陰に、私たちがずっと見ないふりをしてきた「真実」が隠されていることに、どれほどの人が気づいているでしょうか。

「移民反対」――。その短絡的な言葉は、一見すると愛国的な響きを持ちますが、実際には問題の解決策を何一つ提示していません。私たちがいま行うべきは、社会のあり方や少子化と向き合い、日本人だけで社会を存続させるように試みること、そして同時に、日本を愛し日本のルールを尊重して共に歩もうとする「良き移住者」と、そうではない移住者を分けて考えることです。

本記事では、「日本の移民問題」を分解し、感情論ではなくこれを「日本人の課題」として再定義を行います。日本の社会の行末を決めるのは、私たち日本人一人ひとりの姿勢と行動だと信じ、この記事を書き進めることにします。
この記事の視点
  • 「移民反対」という言葉が私たちを感情的にさせて本質的な議論から目を逸らさせている。
  • 労働生産人口の減少を放置し、現場仕事を敬遠してきた日本人の「現実逃避」。
  • 日本のアイデンティティを守り抜くための4つの具体的提言。

「移民反対」という思考停止が隠しているもの

今、日本への移住者が増える中で、治安の悪化や文化の衝突に対する不安が爆発しています。しかし、ただ「移民反対」と叫ぶだけでは、問題の解決には一歩も近づきません。なぜなら、その言葉は全ての移住者を一括りにし、その裏にある「なぜ私たちの社会は彼らが必要になったのか」という私たちの不都合な真実を覆い隠してしまうからです。

私たちは、もっと現実を見た議論をする必要があります。本当に日本が好きで、日本の社会の一員として貢献したいと願う移住者までをも敵視してしまえば、それこそ日本の社会の健全性を損なうことになります。

移民問題とは、日本人が日本社会をどう存続させるかという、
私たち自身の自覚と行動の欠如が生んだ結果である。

私たちの逃避:日本社会の空洞化を招いた「三つの責任放棄」

ここに、目を背けてはならない「現代日本人」の姿があります。外国人労働者を受け入れなければ社会が回らなくなった現状は、私たちが長年続けてきた「責任の放棄」の結果です。

1
少子化対策の放棄
50年も前から警告されていた少子化のリスクを日本人はずっと過小評価し続けてきました。何が少子化を引き起こしているのかという真剣な議論を怠り、政府はその場しのぎの「こども家庭庁」の創設や小手先の政策に終始し、本質的な対策を講じてきませんでした。代わりに労働生産年齢人口の減少に対応するために不足する労働力に女性を充てることで、短期的な経済力を維持し少子化対策を切り捨てる道を選びました。
2
「多様化」という名の価値観の貧困
結婚できない若者や子供を持てない若者のガス抜きをするために「幸せの定義」の多様化が提唱され続けており、家族を作る幸せよりも個人としての幸せが優先される論調が加速し続け、はたまた男性や女性という性別の意識すらもが薄められています。若者世代がどんどん中性化し、個人主義化していく現状は、少子化をさらに加速させる方向に社会全体が引っ張られていると言わざるを得ません。
3
労働の尊さの放棄
日本人はいつの間にか、汗を流す建設現場や生産現場の仕事を「下」に見るようになりました。ネクタイをして涼しい部屋で働くことだけを憧れとし、社会を支える土台となる仕事を敬遠し続けてきました。その結果、現場職は深刻な人手不足に陥っており、外国人を雇用することなしには業界そのものが存続できなくなっています。
⚠️ 現実からの逃避の代償 現場職の深刻な人手不足は、もはや「外国人の雇用なしには業界そのものが消滅する」レベルに達しています。彼ら外国人労働者を必要としたのは、他ならぬ私たち日本人の「やりたくない」というワガママと、無為に過ごしてきた50年間の歳月なのです。

日本人はどう生きるか

「移民反対」という言葉は、日本にいる外国人全てを対象にした言葉のように聞こえます。しかし実際には、本当に日本が好きで、難しい日本語をしっかりと話して、日本の社会のために働くことや日本の一員になれることを喜んで日本で生活している移住者も大勢いることを忘れてはいけません。

そして「外国人労働者を受け入れなければならない状況を招いたのは私たち日本人なのだ」という現実から目を逸らして、闇雲に「移民反対」という言葉を呪文のように唱えることは、それこそ無責任だと私は思います。この問題は私たち日本人が解決しなければならない問題なのです。

便利なコンビニも、綺麗な街も、優れた医療も、美味しい食事も、私たちは「それがあるのが当たり前」だと思いがちですが、実はそれらは「誰かがそれを作ってくれたから」それを「当たり前のように」消費をしているだけであって、私たちの日本社会は今まさにその当たり前を維持できるかどうかの瀬戸際にあるのだということを私たちは認識する必要があります。

いま私たちに必要なのは、私たち日本人だけで日本社会を存続させるように努力することであり、「良い移住者」と「日本社会に害をなす人間」を明確に区別することです。そのために私たちは「多文化共生」などという曖昧で無責任な幻想を捨て、以下の4原則に基づいた社会の正常化を推進することが大切だと思います。

  • 1
    「公共の福祉」による宗教的制限の断行 日本国憲法に明記されている通り、信教の自由は尊重されますが、それは公共の福祉に反しない限りです。宗教的な行動が日本の社会と衝突し、日本人に危害が及ぶ場合は、過去の「オウム真理教」や「統一教会」が解体されたように、これらの宗教の行動の自由は必ずしも100%保証されるものではないと考えます。日本社会との衝突を繰り返す特定の宗教に対し、社会的に害があると認定し、行動の自由を制限する法的枠組みを構築すべきです。他のどの国がやっていなくても、日本独自の指針を打ち出すべきです。
  • 2
    厳格なフィルターと「即時国外追放」 日本の伝統、文化、言語を尊重できない人間を日本国内に留まらせるべきではありません。少なくとも「貧困国」から「安い労働力」を日本に連れてくる、という考え方は今すぐに捨てなければなりません。「彼らが罪を犯してもそれは彼らを受け入れるための社会的なコストである」という馬鹿げた考え方を絶対に私たち日本人は許容してはいけません。そもそも「貧困国から安い労働力を雇い入れる」という考え方は全く人道的な考え方ではありません。
  • 3
    日本社会に生きる「責任」と「義務」を明確にする 日本社会がおかしくなりつつあるのは外国人のせいではなく、「社会」や「政治」に無関心であり続け、日本の社会と外国人をしっかりと管理できていなかった私たち日本人の責任です。私たちはここで「日本人とはなにか」「幸せとはなにか」「労働とはなにか」ということをもう一度考える必要があると思います。そのうえで、日本社会に生きる私たち日本人の「責任」と「義務」をあらためて明確にする必要があります。
  • 4
    少子化と過疎化を日本人が解決する努力をする 現状は「少子化」や「過疎化」を日本人が解決できないので、「じゃあ外国人労働力を入れましょう」「若者が不足している地域にはアフリカから外国人を入れましょう」ということになってしまいます。それを日本人だけで解決すると今決めなければならないのです。それが難しいことは承知しています。「倫理的」にも「経済的」にも「生物学的」にも「社会的」にも、子供を簡単に作ることは出来ませんから。しかし議論する時間はこの50年の間にとっくに私たち日本人は使い果たしてしまいました。単純に、税収ではなく国民の所得が向上し生活苦が解消され、「幸せ」と「学力」の再定義が行われ、「子育てコスト」の再構築が行われなければなりません。

最後に(まとめ)

私たちは今、分岐点に立っています。感情的な言葉で誰かを敵視し続けるのか、それとも「自分の国の土台は自分たちで守る」という当たり前の責任を取り戻すのか。そうすると多くの人はこう言うのかもしれません。そこに参加しない「自由」があるのだと。しかし「自由」という言葉は、「責任」と「義務」を果たしたものだけが口にできる言葉なのだという原則を思い出す必要があります。

労働の尊さを思い出し、次世代を育む喜びを再定義し、悪しき移住者を排除する勇気を持つこと。この移民問題の本質は、実は私たち日本人が「日本人としてどう生きたいか」が問われている問題なのです。

「責任の放棄」のツケを、これ以上次世代に回してはならない。
この記事が確かな思考の種火となることを願って。
🌿 思考をさらに深めるために

「多様性」という免罪符が社会を壊す。「折り合い」を失った社会はどこへ向かうのか?「多様化」と言いつつも実際に世の中で起こっていることは、 地域の個性や文化の否定と、男女という性別の否定 であり、私たちの個性や多様性はむしろ否定され続けていることに、日本人は気づいているのか。