連載第2回。今回は、資料として確認できる「日本の民間人が虐殺された事例」を列挙し、その背景にある19世紀当時の世界情勢へと視点を移していきます。私たちが生きる「今」とは全く異なる、当時の価値観と恐怖をなぞります。
記録に残る日本人虐殺の事例
けれども以下に、日中戦争、大東亜戦争の戦前・戦中・戦後に日本の民間人が虐殺された事例を資料があるもののみ書き出してみる。
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1
1900年:義和団事件(不明) 中国人による中国における外国人殺害事件
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2
1920年:尼港事件(731人) ソ連兵による日本人虐殺事件
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3
1928年:済南事件(16人) 中国人による日本人惨殺事件
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4
1937年:通州事件(225人) 中国人による日本人惨殺事件
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5
1945年:東京大空襲(12万人以上)
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6
1945年:沖縄での民間人犠牲(9万4000人以上)
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7
1945年:広島への原爆投下(14万人以上)
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8
1945年:長崎への原爆投下(7万3884人以上)
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9
1945年:満州での民間人大虐殺(9万7500人以上)
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10
1945年:満州での日本人女性への無数の性的暴力
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11
1945年:ソ連によるシベリア抑留(57万5千人うち5万5千人が死亡)
前述の通り、ここに書いたのはほんの一部の事案のみだと考えられるが、なんにせよ資料がないのでこれ以上の事案を追加することができない。しかし可能な限り事実を集めて書き続けてみる。
19世紀の世界の姿と日本の関係
日本人の戦争被害の話に入る前に、1800年代の世界の状況と日本の状況を簡単に書いておきたい。当時の常識と現在の常識は必ずしも共通ではなく、善悪の価値観すら1800年代の世界と現代とでは異なることがある。それを知らずして、当時の日本の行動や決断を考えることは難しいからである。
1800年代といえば、日本がまだ鎖国を続けていた江戸時代後期である。日本では庶民に根ざした町人文化が花開いており、浮世絵や滑稽本などの文学、歌舞伎、川柳、写実的な絵画、そして蕎麦や天ぷら、握り寿司などの屋台文化が急速に発展した。しかし1853年7月にペリー率いるアメリカの海軍艦隊が現れたことをきっかけに、日本の歴史は明治維新へとつながる幕末へと進んでいく。
幕府を倒して明治政府を成立させた者たちがどうしても達成したかったことは、日本を他国の植民地にしないことだった。そもそも明治維新の目的とは、徳川300年間の鬱憤を晴らさせ、古い体制を終わらせて日本を急速に近代化させることで国力を増強し、日本の独立を守り抜くことにあった。
1800年代の世界には帝国と呼ばれた強国が多数存在し、アフリカやアジアの大部分はこれらの帝国の植民地にされていた。特に日本に危機感を与えたのが、1856年から発生した第二次アヘン戦争において、それまで日本が強国と思っていた清国がイギリスとフランスの艦隊に全く歯が立たなかった事実を知ったときである。アジアとヨーロッパとでは文明のあり方が根本的に異なり、もしも戦争になった場合には日本もヨーロッパの軍隊に対して全く歯が立たないことを清国の事例から明確に理解したのである。だから当時の日本人は日本が侵略されないように最大限の時間稼ぎをし、その間いに国論をまとめて日本を急速に近代化させ軍備を整える「富国強兵」を推し進めた。
「不平等条約とノルマントン号事件」。日本が直面した人種差別の壁について。
【連載3/7】日本を近代化へと突き動かしたものは、単なる野心ではなく「対等でありたい」という悲願でした。 不平等条約とロシアの南下に怯える当時の日本。
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