40代になったら、自分はもっと強くなっていると思っていました。確かに強くはなった。小さいけどいろんなことを、成し遂げてきたと思います。今になってようやく、父親が言っていた言葉の意味が、理解できた気がします。父は仕事が大好きな人です。尊敬してもいる。そんな父が、私が学生のとき、ダラダラしていた私に言ったことがあります。「楽しいことばかりの人生なんてありえない。お前もいつか、働き続けることの辛さをわかる日が来る。」現状に何か明確な不満があるわけではないです。人生が明確に嫌なわけでもない。なのに、なんでこんなに、哀しいんでしょうか。街を見下ろしていると、理由もなく涙が溢れることがあります。
疲れている、そんなことは当たり前だけど、誰かにケアしてもらいたいんじゃない。ただぐっすり眠って、私まはた一歩を前へ踏み出したい。だってまだ私は、死んでない。この涙は、敗北ではない。
目次
この記事でわかること
- 「理由なき涙」が持つ、誠実さの証明としての意味
- 役割に縛られた40代が陥る「虚無」の正体
- 孤独の底から、自らの手で主導権を取り戻すための3つのアクション
- 「誰かにケアされる」のではなく「自ら灯をともす」ことの重要性
1. その涙は、敗北ではない
夜、一人の車中や風呂の中で、不意に視界が滲む。特別な悲しみがあるわけではない。ただ、どうしようもなく涙が止まらない。 既存の医学的、あるいはビジネス的な記事は、これを「男性更年期」や「メンタル疾患」と呼び、速やかな受診を勧めます。もちろん、身体のケアは大切です。しかし、それ以上に私たちが向き合うべきは、その涙が持つ「誠実さの証明」ではないでしょうか。⚠️本記事は、精神医学的な見地を否定するものではありません。ケアが必要な場合は、速やかに医療機関を受診してください!
感情の閾値(しきいち)
あなたの涙は、心が壊れた合図ではありません。上司、部下、家族、そして社会的な期待。それらすべてを背負い、誰にも弱音を吐かずに誠実に向き合い続けた結果、心の器がいっぱいまで満たされた証です。あなたは弱くなったのではなく、誰よりも長く、独りで戦い続けてきたのでしょう。本当にすごいことだと思います。
2. 父の背中と、深夜の静寂に牙を剥く「虚無」
私も、気づけば40代になっています。あまり40代という特別な実感はないのですが、そんなものでしょうか。会社では幾人もの人が他社に転職したり、中途で入社したり、新人が入ったりと、組織もだいぶ変わりました。私の働き方もだいぶ変わりました。常にスキームを明確にすることを気にして、部下や自分がチームから抜けても業務に支障が出ないように、情報の一元化と仕組みづくりを徹底しました。これは不思議なことなのですが、私は会社に貢献していると自負していますが、一生懸命に自分がいなくなっても会社が機能する仕組みを、一生懸命につくっているのです。別にそのことが哀しいわけではありませんが。この広い世の中で、確かに自分の代わりはいくらでもいるのかなと、そんな気になってしまいます。職場の席も、家族の中での役割も、こんなになって今の自分が必死に守っているものは、実はただのシステムの一部に過ぎないのではないか。ふと、そんなふうに感じてしまうことがあります。ある意味それは事実なのですが、そんなに簡単に割り切れないのは、多分私の執着と感情の問題ですね。
「中間管理職という拷問椅子」
かつての私の父も、そうだったのだと思います。おそらく父の40代といえば、今の私のように中間管理職だったのでしょう。私は当時まだ学生で、ダラダラしていた私に、父が深い思いを吐き出したことがあります。私はなぜかその時のことがずっと、記憶の中に残り続けています。「毎日何やってるんだ。逃げるな。人生楽しいことばかりじゃないんだぞ。お前のそれは、ただの逃げだろう。いつかお前にも、働き続けることの辛さがわかる日が来る。」いま、この言葉を思い出して、その時の父の心情を考えると、涙が湧いてきます。父も辛かったんだなと、心から共感できます。そして心から父に、「お疲れ様でした」と言いたいです。
上司を上司とも思わない部下からは突き上げられ、上司からは叩かれ、自分の仕事も抱えながら、部下と上司の両方のケアで時間と体力と気力をどんどん奪われていく毎日。改善を指示しても部下は一向に改善せず、方針の転換を訴え業績向上の明確な指針を訴えているのに上司は動かず、世界に向かって「何やってるんだよ!」と叫びたくなる日々。そして、自分の仕事ではクライアントに打ちのめされる。そんなことが重なった日には、飲まなきゃ、居た堪れなくなる。そして、もっと勉強して自分の立場を変えたいと願う。
でも家に帰れば、今度は家族のケアが待っている。口で言うほど嫌ではないのだけど、パートナーも疲れているんだし、話を聞いてあげなくちゃいけないし。そうして時間だけが過ぎてしまって、自問自答できる時間は、みんなが寝静まった後か、風呂の中か、寝ている時だけ。そして翌朝には何事もなかったような顔をして、また戦場へと出かけていく。父もそうだったのだなと、いま本当に父の偉大さを毎日思い知っています。
3. 総武線のホームで、理想と現実に向き合った15年前
私の人生はずっと孤独でした。親友はいるけれど、友達は少ない。だから新卒の頃から、毎日10時間以上働いた後で、帰り道に乗換駅で外に出て、一人で深夜のバーや居酒屋に通っていました。働く意味を探していたのかもしれないし、誰かに頑張っている自分を見て欲しかったのかもしれません。おかげで美味しいウィスキーの味を知ることはできましたが、私が求めていたものが手に入ったり、心の中の空白が埋まることはありませんでした。店の中では一生懸命に無知で経験のない自分を取り繕っていましたが、店を出て、帰途につくと、また世の中にひとりぼっちで放り出された自分に戻るのです。
15年ほど前の寒い冬の夜、その日もいつもと同じように浅草橋の総武線のホームで冷たい風に吹かれながら、最終電車を待っている時、携帯電話で北斗晶さんのブログを読んでいました。内容はよく覚えていませんが、この頃の北斗晶さんのブログの最後にはいつも、こう書いてありました。
「今日も寒いけど、あったかいもの食ったか?」
このフレーズを読んだとき、ふと涙が出ました。あれから15年が過ぎ、42歳になろうという今年も、いまだに私は同じ場所にいるのかも知れません。住む場所も、働く場所も変わりました。成長もしました。けれど、いつまでも自分の本質はあの頃のままの気がするのです。
私たちが涙を流すのは、自分自身をあまりにも長く「放置」しすぎたからです。誰からも関心を持たれていないと感じるのは、私たちが自分自身に関心を持つのをやめ、外側の「評価」という鏡でしか自分を見られなくなっているからな気がします。
大人になり、同じ年代になった今、私はようやく父が抱えていた「孤独の重さ」を理解しました。あの頃、週末に父はよく私と話をしました。問題を定義して、それについて話し合う。当時中学生だった私と話して、父は私と話をするのが楽しいと、母に語っていました。
4. 状況に抗うための「武器」を手にする
状況を変える「力」は、孤独の底に落ちていると、私は考えています。自分の人生の主導権を、誰かに明け渡してはならない。苦しい。死ぬほど孤独だ。だからこそ、そこから這い上がるための力は、外からの慰めではなく、私たち自身の「怒り」や「違和感」から絞り出すしかありません。受動的に癒やされるのを待つのではなく、自ら一歩を踏み出すための「3つの武器」を提示します。
1
「トルクのある思考」を取り戻すジャーナリング
毎朝10分、ペンとノートを手に取ってください。これは日記ではなく、思考のデトックスです。スマホやキーボードの「瞬発的な思考」ではなく、紙に文章を書くということが重要です。紙に文章を書くことで、坂道を発進する時のようなトルクのある思考に切り替わります。それは「世界が自分を無視しても、俺は俺の声を聞く」という静かな反逆への第一歩です。ジャーナリングについての解説は、>>こちら<<の記事をご覧ください。
2
「生存の証明」としての料理
もし、いつも料理を作ってもらっているなら、週に一度、家族のために料理を作ってみてください。豪華な夕食である必要はありません。休日のブランチや朝食でいい。自分の手で火を使い、誰かの空腹を満たす。その能動的な行為は、あなたが役割を超えて「あなたが身近な人のために価値を生み出せる人間」であることの最もわかりやすい証明になります。
3
「3秒の直視」:沈黙という名の対話
いつも家族のために尽くしているのなら、大切な人を「お茶」に誘ってください。家の中でも外出してもいいです。テレビやスマホを消し、何気なく、3秒だけ相手の目を見つめてみる。言葉は要りません。その短い沈黙の中にこそ、役割を脱ぎ捨てた一人の人間としてのあなたが宿ります。そんな密度の濃い会話を、大切な人としてみてください。
5. あなたの背中を押せるのは、あなただけ
大切なことは、苦しい時こそ「自分から一歩を前に踏み出す」ことです。受動的になり、誰かに自分を修復してもらうのを待つ時間は、かえって不安を増幅させます。自ら動き、一歩を踏み出すことができたとき、あなたは気づくはずです。「今、自分の隣にいる家族やパートナーこそが、私の精神的な支えだったのだ」と。
それは、ケアを求めていた時には見えなかった景色です。自ら光を灯そうとする者にだけ、周囲の温かな光も届くようになるのです。これは大きな違いです。奮い立つような勇気はそれでも湧いてこないかも知れない。しかし静かな勇気が、静かに日常の中に染み込んでいくことが、あなたにも感じられるのではないでしょうか。大切なのは、孤独な自分を放置しないことです。
大切なこと
孤独とは、他者がいない状態ではなく、「自分自身との対話」が途絶えた状態を指します。真冬のホームで震えている自分を抱きしめられるのは、今の自分自身でしかないのです。
6. 結び:その涙をインクに変えて
もし今、あなたが理由のない涙に戸惑っているのなら。それは、あなたが「役割という仮面」を脱ぎ捨て、一人の人間に戻ろうとしている証です。その涙を、単なる弱さとして流し捨てないでください。そうなるまで戦い続けたということは、あなたは十分に強いのです。それは、これからの人生を、自分の言葉で、自分の責任で書き直していくための「インク」なのです。
あなたの人生のハンドルを、他者に渡してはいけない。
孤独の底で掴み取ったその「違和感」こそが、あなたを新しい場所へと運ぶ燃料になる。
明日へのステップ
- 明日の朝、ノートに今の感情を殴り書きしてみる
- 大切な人に、3秒間の真っ直ぐな視線を送る
- 役割を脱ぎ捨て、一人の人間として「あったかいもの」を食べる
🌿 思考をさらに深めるために
責任感が強く、常に高い完遂力を発揮する人ほど、静かに忍び寄る「心の枯渇」に気づけません。 燃え尽き症候群は単なる怠慢ではなく、真面目に適応しすぎた結果生じる「心の怪我」です。 自身の名誉と将来の自由を守るため、今こそ「戦略的休息」という知性を取り入れてみませんか。
ー Crascul-Ignissionとは ー
あなたは人生の手触りを大切にしていますか?
































