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効率化が殺した『いただきます』の感触|食品ロスを痛みで捉え直す。世界では8億人が飢え、13億トンが捨てられる今だから

この記事の視点:食品ロスを「消費主義」の病として捉え直す
  • 2030年までの削減目標と、日本が達成した成果の裏にある残酷な対比。
  • 「3分の1ルール」や過度な顧客サービスが招く、事業者と消費者のジレンマ。
  • 飢餓問題の深淵にある、資本主義と人道支援の限界、そして人口問題への問い。
  • 江戸時代の「勿体ない」という精神性から、現代の豊かさの定義を再考する。

食品ロスとは、まだ食べられるはずの食品が廃棄されることを言います。日本において「食品ロス」という言葉は1998年頃から使われだし、大量消費社会における食品の大量廃棄が社会問題として問題提起されるようになりました。

そして2015年9月に開催された国際連合の総会において、「2030年までに持続可能でより良い世界を実現することを目指す国際的な行動計画」が話し合われ、その成果として「持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」が採択されました。これがつまり、世の中一般に広く知られたSDGsでありますが、この目標の中には貧困撲滅、飢餓解消、質の高い教育、ジェンダー平等、気候変動対策などの17の目標と169の具体的な数値目標が設定されました。その目標の一つとして、「2030年までに世界の一人当たりの食料廃棄量を半減させる」という目標があります。国連がこの食品ロスの問題を重大に捉えていることがよくわかります。

日本の食品ロス対策の進捗

前述の通り国連は「2030年までに世界の一人当たりの食料廃棄量を半減させる」という数値目標を掲げました。日本では2019年5月に「食品ロスの削減の推進に関する法律」が成立し、同10月から施行されました。

この法律において、当初は日本における食品ロスを2030年までに2020年度比で50%削減することが目標とされていましたが、この目標は2023年に達成されたため、現在は2030年までに2020年度比で60%削減という新たな目標が設定されています。

日本の食品ロスの現状
一見すると日本における食品ロスの削減はうまくいっているようにも思えます。2000年度の推計値と比べると確かに総量は半減していますが、まだまだ膨大な量の食料を私たち日本人は食べずに廃棄しています。これは決してオーバーな表現ではありません。消費者庁のデータによると日本の食品ロスは2023年度についての推計が464万トンとなっており、この数値は2000年に同推計を開始して以来最少の数値であり、かつ2000年度比で約50%の削減に成功しましたが、この464万トンという数字は、同年に国連が貧困国に対して投入した食糧支援の総量の1.25倍に相当します。それだけの量の食べ物が捨てられているのだと思うと、胸が痛みます。

日本における食品ロスの構造とは

食品ロスには、「事業系」と「家庭系」の2つのカテゴリがあります。事業系とは主に生産者、卸売、小売、外食産業などで発生する食品ロスを指し、家庭系とは家庭における食品ロスを指します。そのため「食品ロスの削減の推進に関する法律」が施行されて以降、事業系と家庭系と両方の食品ロスを削減するための取り組みが続けられてきました。

01
事業系のジレンマ:消費者の意識と仕事の在り方
事業系の食品ロス削減のための具体的な取り組みとしては、消費期限表示の見直しや、小分け包装の普及、フードバンク活動などが挙げられますが、日本ではまだまだできることがたくさんあると思います。というのも、課題となるのは消費者の意識なのです。例えば売り手が以下に「形が悪くても味は美味しいから」と考えても、実際の消費者は形が悪い野菜は買いたがらないという現実があります。それに恵方巻きのような”その日に売らなければ商品価値が損なわれる”ような商品は、どうしても売れ残りの心配があります。本来ならばその日に消費できるだけの量を準備して売り切れを目指すのが正しい仕事の仕方に見えますが、けれども実際に売り切れると、消費者からクレームが入る。だから売り切れになるのを防ぐために大量に在庫を用意して、残った分は廃棄するしかない。これは食品を扱う事業者が抱えるジレンマと言えるでしょう。そしてこのことは、日本の消費社会全体が抱える問題と言っても過言ではないような気がします。ひょっとしたら、今私たちは事業者と消費者の関係のあり方そのものを議論し直す時期にきているのかもしれません。
02
家庭系:便利さと引き換えに失った「商店街の知恵」
そして家庭系食品ロスの削減については、買い物や調理時に適正な量を意識し、食材を無駄にしない工夫が呼びかけられてきました。食育の観点からも、次の世代を担う子どもたちに「食品ロス」という社会問題を教え、食べ物を大切にする意識を育てる試みが行われています。その一つの例が、消費者庁がcookpadで発信している食品ロス削減のレシピです。
消費者庁のキッチン(cookpad)

この食品ロスの問題を家庭系ロスの観点から考えていると、実は便利なスーパーではなく、むかし商店街にあった八百屋さんや魚屋さんやお肉屋さんで必要な分だけ買い物ができた時代のやり方が、食品ロスの削減には実は一番有効だったのではないかということです。すぐに必要はないけれどもとりあえず買ってみようと不必要なものをカゴに入れてしまうこともないですし。閉店時間がきても商品棚に大量の食材が残り続けているのではなく、それぞれの商店が必要な分だけを仕入れて売る、そのサイクルを専門的に突き詰めるという努力は、小さな店舗の方が向いていたのではないかなと、思ったりもします。

けれども現実には、現代を生きる私たちには夕食の買い物のために何件もの商店を回って食材を必要なだけ購入する時間はありません。便利なスーパーで一度に買い物をすませて、すぐに家に帰りつきたいです。こうして考えると、この食品ロスの問題は必ずしも単純な問題ではなく、現在の私たちの労働環境や消費環境といった、複数の問題がつながっているのだと思い至ります。

世界の飢餓問題の現状

世界の飢餓問題に少しだけ触れてみたいと思います。世界には飢えで苦しんでいる人が約8億人いると推計されており、国連は毎年大量の食糧支援を投下しています。WFP(国連世界食糧計画)が発表したデータから、近年に国連が支援に投入した食料の量をみてみます。

  • 2021年:約440万トン
  • 2022年:約480万トン
  • 2023年:約370万トン

しかしながら、実は世界では毎年およそ13億トンという実に膨大な量の食料が食べられることなく廃棄されています。これは一年間に地球上で生産される食料のおよそ3分の1に相当する量だそうです。(この廃棄分には野菜や果物の皮なども含まれるため、ゼロにすることは難しい)。

「食の不均衡」という残酷な真実
世界に生きる人々の実に9人に1人が飢えに苦しんでいます。しかしそれは地球上で生産される食料の量が足りないから彼らが飢えに苦しんでいるわけではありません。実は世界中で生産される食料の量だけを考えれば、80億人の人々が食べていけるだけの十分な量があります。けれども私たちは生産された食料の実に3分の1を食べずに廃棄しています。食料が足りない場所に食料が届かず、食料が余っているところに食料が留まり続ける現象を、「食の不均衡」と呼びます。

そしてまたこの飢餓問題は、実に多くの複雑な議論を含んでいます。タブー視されることですが、本気でこの問題と向き合うならば、議論をつくさなければならない問題だと考えます。それも結論ありきの議論ではなく、様々な角度からこの問題を考えてみないと、私たち人類はこの問題を永久に解決することができないような気がします。

例えば、飢餓が発生する貧困地域においてなぜどんどん子供をつくるのかという議論。飢餓が発生している貧困地域の人口が増加し続けており、飢餓がより深刻になるだけでなく、将来においても飢餓が連鎖していくという現実があります。けれども人々が子供を作ることを制限することはできません。極端なテーマだと、そもそも飢餓が発生する地域や国が地球上から消滅してしまってもいいのかということ。そして飢餓を解決するためには食料がある国や地域から食料を運んで援助する必要がありますが、その規模やコストはもはや援助という範囲を大きく超えています。この問題を真剣に解決しようとするならば、そこには資本主義的な考え方ではなく、食料を全人類で分け合うという共産主義的な考え方が必要になります。現在国連は毎年大量の食料を援助しつつ、日本をはじめ様々な国によるODA(政府開発援助)などの資金援助によって貧困地域の経済発展を促進する施策を打ち続けていますが、効果が出ていません。

その理由は幾つかありますが、まずは他国からのODA(政府開発援助)を受けている貧困国においては、そもそもODAの金額が国家予算の大部分を締めている国があり、そういった国においては援助された金額が何らかの使途不明金になるケースが多々あるということ、資金や食料を送ってもそれが本当に困っている最貧層に届いていないことが多々あるということ、そして貧困国の運営そのものが援助ありきの運営になってしまっており、経済的な自立をする意欲を持てない国家が少なからずあるということなどが挙げられます。

食品ロス量の国別世界ランキング

今しがた、「私たちは生産された食料の実に3分の1を食べずに廃棄しています」と書きましたが、この年間13億トンという恐ろしい量の食品ロスは、実は先進国のみで発生しているわけではありません。実は多くの発展途上国においても、膨大な食品ロスが発生しています。以下に各国の食品ロスの総量ランキングの表を引用します。

出典:Food Tech Hub
  • 1中国年間 約9,165万トン
  • 2インド年間 約6,876万トン
  • 3アメリカ年間 約1,936万トン
  • 4日本年間 約816万トン

これを見ると、食品ロスが決して先進国だけの問題ではないことを理解してもらえると思います。私たち日本人も更なる食品ロスの削減に取り組まなければなりませんが、発展途上国における食品ロスをいかに減らすかということが、飢餓問題を解決するためのとても重要な要素になります。

世界における食品ロスの構造とは

一言に食品ロスと言っても、その発生の仕方は先進国と途上国とでは大きく異なります。

A
先進国:商習慣による廃棄
豊富な品揃えにこだわった末の賞味期限切れや生産工場での生産過多などの商習慣によって食品ロスが発生します。
B
途上国:インフラ不足によるロス
収穫技術の未熟や流通システムの未整備などが原因で食品ロスが発生しています。

ですから飢餓問題を解決するためには、食料援助だけではなく、貧困国の流通や食品管理の技術の向上、労働意識の改革なども必要なことの一つなのです。

まとめ:豊かさの本質へ立ち戻る

改めて、私たちは食品ロスを更に削減していかなければなりませんが、食品ロスの問題は私たちの意識の問題であり、それはつまり現代の消費社会や消費主義そのものを改めて議論し直すことが必要なのだと思います。法律やルールを整備することももちろん大切ですが、もう一つ、私たち日本人の文化という観点からも、この問題に取り組むことが可能ではないかと思います。

受け継がれる「勿体ない」の感性

私たちの日本語には、「勿体ない」という言葉があります。他の国の言葉にはなかなか無いセンスの言葉です。ケニアの環境活動家、ワンガリ・マータイ氏が「MOTTAINAI」という言葉をケニアから世界に広げ、環境キャンペーンを行いました。マータイ氏はこの活動により2004年にノーベル平和賞を受賞しました。

言葉のルーツ
「勿体ない」という言葉は室町時代には存在したと考えられています。言葉の元となったのは仏教において「物事の本来의 価値や本質が失われてしまうのは惜しい」という意味を持つ「勿体」という言葉だったそうです。それを食べ物や日用品についても同じように「勿体ない」と感じられた当時の人々の感覚は、台所や日用品や食べ物などあらゆるものに命が宿ると考えた昔ながらの神道の考えにも通ずる、とても日本人らしい考え方、感じ方だったように思います。今とは全く価値観が違う世界の話のように感じます。

江戸の街に学ぶ「手触り感」のある暮らし

今の私たち日本人はこの「勿体ない」という言葉を忘れがちですが、「勿体ない」という言葉を大切にしていた昔の日本人が生きた江戸の街では、リサイクルと再利用が徹底されており、ゴミがほとんど出なかったそうです。桶や皿や籠、着物などの日用品は使い捨てにはせずに、壊れても修理をして美しく仕立て直して使い続けました。そして何かを買う時は量り売りが基本で、その日に「必要な量だけ」を買って持ち帰ったそうです。冷蔵庫もない時代なので、それが当たり前だったのかもしれませんが。

もっと極端な違いを述べると、昔は例え貧乏でも尊敬できる人物はたくさんいた世の中だったそうです。継ぎを当てた服を着ることは決して恥ではなく、それよりも心の貧しい振る舞いをする方がよほど恥ずかしかったと。

けれどもいつの世の中にも、お金や食料への欲は存在し、それを持ちたいと思う人間がある程度存在したことも事実。ただ明確な身分社会であった江戸の街においては、町人は町人らしく貧乏な暮らしをしつつも、心持ちだけは豊かに人生を謳歌していた、というのが実際だったのかもしれません。

現代の消費主義への違和感と、これからの豊かさ

それが現代においては、あらゆることが公平に近づいたために、物質的な満足を追求できる機会が全ての人に平等にもたらされた結果、それが消費主義のモーターとなって今の消費社会を支えているのです。けれどもやはり、食べ物を捨てるという行為は、日本の伝統や文化の観点からは違和感しか感じません。

私たちの「豊かさ」への問い
食べ物だけではなく他の品物についても、必要以上にものを作り続けて売り続けて、商品が売れてお金になった後はそれが廃棄されようと関心がない、そんな自由に浪費と廃棄が許されることが豊かさの定義であっては断じてなりません。

もちろん江戸時代の全てが素晴らしかったというつもりはありません。科学技術や医療が発達して、人々の暮らしがより便利で安全になり、人々の人生がより公平に近づくことは素晴らしいことだと思います。しかしその過程で私たちは消費主義を導入し、「勿体ない」という私たちの感性や品物を長く使い続けること、食べ物を大切にすることを忘れがちになってしまいました。

近年において「ミニマリズム」や「断捨離」という価値観が注目されているということは、ひょっとしたら今の日本にも、その違和感に気付いた人が少しずつ増えてきているのかもしれません。物質的な豊かさだけが「豊かさ」の定義ではありません。大切なことは、豊かさの本質にもう一度立ち戻ることだと思います。

そして現代の行きすぎた消費主義食を考え直し、食べ物を大量に廃棄するという消費社会を改めて考え直し、その上で経済を発展させることを試みることが私たちには可能だと思います。

食品ロスの問題は、明らかに私たちの生き方に起因する問題である。
🌿 思考をさらに深めるために

豊かさとは何か。それは綺麗な格好で街を歩き、手に油をつけずに仕事をできることだろうか。それを豊かさだと思っている人間は 社会や経済の根幹はものづくりである という根本を見落としている。高級食材も料理も高級時計も高級車も、誰かが作ったから存在している。お金は単純に誰かがそこに値段をつけただけにすぎないのに。