このサイト(Crascul-Ignission)は、政治的な言動をする場ではありません。けれども、ことグローバリズムについては、この場に一言残しておきたいと思い、この記事を書き始める次第です。
近年、世界中の左派によりグローバリズムが唱えられ、「移民」や「多文化共生」の名の下に社会秩序の湾曲が強力に推し進められています。そして現実にヨーロッパの多くの都市が文化的に破壊され、治安が悪化し、窃盗や傷害、レイプなど「暴力において他者を屈服させる犯罪」の件数が著しい増加を見せているのにも関わらず、まだ尚グローバリズムを推し進めようとする人々が大勢います。
この記事では改めて「グローバリズム」とは何かということを徹底的に考えていきたいと思います。
- 世の中は白と黒の極論だけでは語れないという現実
- グローバリズムが内包する「特権階級」と「不平等」の構造
- イスラム原理主義と識字率、情報の更新が阻まれる背景
- 国家という価値観が持つ「橋渡し」としての真の役割
最近の論調を注意深く見ていますと、政治的な発言をする方々は、あたかも世の中には白と黒しか存在し得ないような極論を述べる方々が非常に多いように見受けられます。実際の世の中は、そんなに単純ではありません。
大切なことは、物事を割り切って考えるのではなく、「平和」や「豊かさ」についてしっかりと考え、守るべき人の幸せを願い、そのために重要な価値観を明確にし、争いなく多くの人々とともに未来に向けて前進していく姿勢です。
ここで、「守るべき人の幸せ」が何を指すのか、この定義が違う人とは、議論をしても無駄でしょう。
この記事では、グローバリズムの理念を全否定するものではありません。しかしグローバリズムを肯定するものでもありません。筆者の認識ではグローバリズムの反意語はナショナリズムではなく、「反グローバリゼーション」です。
簡単にグローバリズムを説明すると?
グローバリズムを一言で言ってしまえば、社会主義と自由市場経済を合わせたようなものです。地球全体を一つの共同体とみなし、経済・文化・思想などのあらゆる面で世界の一体化を推進する考え方や運動を言います。
基本的には弱者の救済をテーマにしていますが、弱者が自由を得るために弱者以外の人間に危害が及んでも仕方がない、なぜなら平等ではないから、という価値観を内包しています。そして労働者階級については平等をゴールにしていますが、特権階級の存在を否定しません。
グローバリズムの根底にあるものは反国家主義であり、無知で貧しい移民たちを秩序ある国や社会に大量に送り込むことにより社会秩序や治安を崩壊させ、そのエネルギーを利用して国家観や固有の文化や言語、また例えば男女というような基本的な社会通念までをも消滅させることを企図しています。
グローバリストたちは多様化という言葉をしきりに使いますが、彼らがいう多様化とは、少数派や社会的弱者に合わせた世の中を実現するというものです。
グローバリズムはどのように生まれたの?
すごくシンプルに言ってしまうと「自由主義」と「新自由主義」がくっついて「多様性」という価値観が生まれたのが、グローバリズムです。本来「自由主義」と「新自由主義」は関係がないはずですが、なぜか曖昧に混ざり合ってしまっているのがグローバリズムです。
グローバリズムとイスラムの関係
ヨーロッパやアメリカの豊かな経済圏はキリスト教圏です。グローバリズムには、貧しいイスラム教国の国民を貧困からの救済する取り組みも含まれます。そしてその取り組みの一つが、イスラム世界からの大量の移民の受け入れです。
けれどもそもそも、なぜこれらの国々は発展しないのでしょうか。それはイスラム教国だからではありません。現実にサウジアラビアなどの国々は経済的にとても裕福です。
貧しいイスラム教国の識字率はおよそ50%程度です。自ら文字を読んで学ぶことができないため、誰かが彼らに教えたことがそのまま彼らの教育になり、知識や考え方が新たな情報で更新されることはありません。
そのため、彼らが移民として受け入れられた後でも、西欧的な価値観や政治体制を否定し、他国の地なのにも関わらずにイスラムの教えに基づいた社会の実現を目指す活動が盛んに行われています。
最後に:グローバリズムの理想の非現実性について
ここで、絶対に忘れてはならない大切なことがあります。例え世界政府ができて世界が一つになったとしても、権力や地位を争う人やグループは必ず存在するということです。もしもそのことに異を唱える人がいるなら、その人は知能が足りなすぎます。なぜなら人類とはそういうものだからです。
国と国との戦争がなくなっても、地位や権力を巡る新たな戦争が生まれるだけです。だからこそ、私たちは歴史を勉強し、他者を尊重することを学ぶ必要があるのだと思います。その学びの土台となっているのが国家であり、国の歴史です。
でも日本と中国や韓国は未だに歴史の問題を解決できないでいるではないか、という人がいるかもしれませんが、これこそが、人類が解決すべき問題なのです。戦争を無くすために私たちがしなければならないことは、歴史を学び、様々な視点から歴史を考え、争いのない未来を共に築こうとする心構えを他者と共有することだと思います。しかし今の中国や韓国は、一人称視点からの歴史を政治利用し、未来ではなく過去に目を向け続け、尊重よりも侮辱と憎悪を選択しています。解決すべきは国家の存在ではなく、このような歴史への対峙の仕方であり、私たちはこの事例から実に多くの教訓を得ることができます。
もしも国という価値観がなくなり、歴史を学ぶことがなくなれば、このような教訓や問題意識までもが、消え去ってしまうことになりかねません。国家があることは分断ではなく、異なる価値観を持つ異なる民族の間に橋をかけることができるのが国家だと思います。
未来は平和で豊かでなければなりません。では平和とは何か?豊かさとは何か?このグローバリズムについて考えるとき、私たちは最も根本的な「平和」と「豊かさ」の定義を考えることを忘れてしまっているのではないでしょうか。全人類を考えるのも大事ですが、まずは家族の平和と豊かさを考えるべきではありませんか。逆にいうと、自分の家族が幸せじゃないのに、世界平和なんて嘘でしかありません。
世界がより良い方向へ進むことを願って、この記事を終わります。
なぜ平和の祈りは「暴力の濁流」に呑まれるのか?休日の子供連れの 平和のためのデモ行進 だったはずなのに、それが一瞬にして暴力と怒号の濁流へと変質していく——。平和を掲げながらも、暴力的な言葉を使い、救済をテーマにしながらも、破壊と暴力に訴える。
あなたは人生の手触りを大切にしていますか?
































