少子化問題を考えるとき、私たちはいつもそれを「経済の問題」として考えます。全ては景気が悪いからだと。しかしこの問題を考えるとき、そこにはいつも重要な視点が欠落しています。子供を産むのは、その時代に生きる生身の人間なのだということです。
この問題を調べて考察していくうちに、私は「出生率の低下と人口の減少は、現代社会の仕組みと在り方に対する人間の無意識の拒否反応の表れなのではないか」という結論に至りました。この記事は、私がどのようにこの結論に辿り着いたのかを明らかにし、これからの「社会の在り方」と「幸せのあり方」を考えていきます。
- 少子化の深層:生命を「経済の燃料」と見なすシステムの傲慢さ
- 「共通パッケージ」という名の、商機のために仕掛けられたバイアス
- 自由と引き換えに私たちが失った、不完全であることの権利
- ジレンマを超えて:経済のサイズを「魂のサイズ」に合わせ直す試み
1. 出生率の推移の事実確認
2024年、日本の合計特殊出生率は1.15を記録、そして2025年には1.13を記録しました。生まれてくる赤ちゃんの数は1974年は約203万人に対して、2025年は外国人の赤ちゃんを含めても約70万人になりました。私たち日本人は今後、現行の社会構造を維持していくことが難しくなります。増え続ける高齢者の人数に対して、壊滅的に子供や若者の人数が少なくなるからです。日本全国で小中学校の統廃合が進んでいる状況が、その現実を悲しく物語っています。
そしてこれから次世代の人口を回復させようとしても、すでに若者世代の人数は1974年の半分以下に減少しており、さらには婚姻率も低下し続けているため、たとえ「子供を産む方々」が産む子供の人数が増えても、全体としての出生数は減り続けてしまうという「人口構造の壁」がすでに出現しています。
下に引用した資料をご覧いただきたい。これは厚生労働省が発表している日本の出生率の推移を1947年から表にしたものです。これを見ると、実は「出生率」というものは、第二次世界大戦が終わった直後の第一次ベビーブーム以来、基本的にはずっと下がり続けているのだということがわかります。出生率の低下は、実は80年前からずっと続いていたのです。
現在私たちは、少子化問題を「経済の問題」だと考えていますが、1960年(昭和35年)に発足した池田勇人内閣が打ち出した「国民所得倍増計画」により、1967年(昭和42年)10月頃に当時の日本国民の所得は倍増しました。しかし先の資料の中の1967年前後の出生率を見てみても、数年は特に変化はなく、1975年頃からは急激な出生率の低下が見られます。そして1986年後半から4年弱続いたバブル期においても、出生率は回復せず、むしろこの時もまた急落しています。
これらのことから見えてくるのはやはり、出生率には家庭の経済状況が影響するけれども、「経済の状況」や「賃金の状況」だけが出生率に影響するわけではない、ということです。むしろ人々の生活スタイルがお金や仕事に強く引かれすぎると、出生率が下がるのです。
2. 経済と人間の幸せというジレンマ
私たちは今、経済を発展させるために「生命リソースの過剰投資」を日々続けています。現代の経済は、労働者が持てるほとんどの体力と時間、そして消費者が持てるほとんどの時間と関心が、経済活動や市場価値へリンク・変換されることを前提に設計されています。あら場所や状況においてニーズと付加価値が提案され、人間の持つ感情や欲求、幸福感など、あらゆる感覚までもが経済活動のための部品として、市場経済のシステムに組み込まれることになりました。
私たちは本来、誰も誰も飢えることの無い、物質的に豊かで便利な社会を求め、経済を発展させてきました。しかしその経済は、いつの間にか本来の目的を忘れて主客転倒し、「人間の営みを経済の都合に合わせる」ことを要求し始めました。そして現代では「広告」や「販売促進戦略」により、誰かが「幸福」と定義したものをお金を払って購入することで、「幸福への欲求を満たす」ことが、幸福の追求とされています。幸せになるためにお金を払うのか、お金を払えるから幸せなのか、それとも、お金を払うから幸せなのか。少子化とは、現在の市場経済と人間の営みとのジレンマが形として現れた一つの答えなのではないでしょうか。実際に、街が都市化し、経済が成熟するとどの国でも必ず少子化が起こります。
3. グローバル経済が変えた幸せの意味
そしてもっとお金を稼ぐためには、経済を発展させ「市場を拡大させる」必要があります。つまりより多くの人がグローバル経済に参加し、お金を稼いでお金を使ってもらう必要がある。この市場経済は急速な広がりを見せ、その過程で伝統や工芸品などの作るのに手間と時間が必要だけれども何年も長く使える商品は「効率が悪いもの」とされ、お金の流れの中に淘汰されていくことになりました。なぜなら市場経済において「景気が良い状態」とは、より多くの品物が売り買いされている状態を指すからです。
その結果、経済的な豊かさが幸せであるという価値観が世の中に広く浸透することになりました。本来ならば、「幸せであるためにはお金も必要」であったのに、いつの間にか「お金がなければ幸せではない」というように、お金と幸せの立場が逆転してしまっているのが現在の私たちの社会です。
4. お金を稼ぐ仕事も大切だけれど、生活のための営みも大切
これまで書いてきたとおり、市場経済によって支配された現代社会は、恋愛や結婚、出産や育児という本来の人間らしい幸せのあり方よりも、金銭的な豊かさを追求するような生き方が推奨されています。そしてもしも金銭的な豊かさと出産や子育てを両立したいと思った場合、特に女性に対しては、労働市場での生産性と、家事・出産・育児という、およそ一人の人が抱えるには膨大すぎる責任と仕事の量が、一人の女性に対して要求されてしまいます。冷静に考えて、これは本当に酷なことだと思いおます。
世の中には、実際に仕事をして、家事と育児をしているお母様たちがおられますが、それは本当に本当に凄いことなのです。実際にそれをやってこられた働くお母様たちには、本当に頭が下がります。
けれどもそのことを理解せずに、「さあ他の女性たちも同じことをしましょう」と当たり前のように言ってしまう世の中の理解の無さが、本当に異常なのです。政府が打ち出す少子化対策が一向に成果を出せていないことにも頷けます。だって少子化対策というのはつまり「世の中の女性の方々、どうぞバリバリ仕事をして、出産もして、育児もして、家事もしてください。ちょっとはお金をあげますから!」というものです。どれか一つでも減らしてあげなければとは、なぜならないのでしょうか。
まずは「仕事」という価値観を改める必要があるのではないでしょうか。
だから少子化問題について「GDPを維持するために子供が必要」「将来の労働力が足りないから子供が必要」という論調は、そもそも問題の本質を全くとらえていないのではないかという気がしてなりません。そんな視点の先には、少子化問題を解決に導くための本質的な議論は存在しないように思えるのです。なぜならそこには、「産まないと決めた人」や「産めない人」の実情が欠落しているからです。
5. では具体的に何をすれば良いのか?
改めて、つまり少子化問題とは、単なる「人口減少」や「経済規模縮小」の問題ではありません。本来の人間らしい営みが市場経済の中で消費されてしまっているという、現代社会の構造的なシステムエラーなのです。だから少子化の問題を本当に解決するためには、現在の市場経済のあり方や、人々と経済の関わり方を根本から考え直す必要があります。それはすなわち、「幸せ」や「喜び」とは何かということを、立ち止まって考え直すことに他なりません。
例えば私が思いつくのは、田舎の暮らしに戻ってみたり、手作りの品物を使ってみたり、家族でご飯を食べたり、家族で散歩をしたり、家族で星を見たり。家族との思い出ばかりが思い浮かびます。社会にSNSが浸透した今、画面に映し出されるきらびやかな世界に憧れる気持ちはよくわかります。けれども自分も歳をいただいて、あるときに気がつくはずです。本当にキラキラしていた時間は一体どこにあったのかということに。思い出して自分が笑顔になれるのはどこだったのか。思い出すと幸せで、思わず笑顔になってしまうような場所はどこだったのか。答えは、私たち一人一人の胸の中にあるのでしょう。
「働く」という定義の見直し
「幸せ」の定義の見直し
学生ローンを禁止にする
返済に充てられていた月々の資金が手元に残れば、それは将来への投資や自己研鑽、あるいは日々の暮らしに「手触り感」のある彩りを与える余白となります。経済的な足枷が外れることで、心理的な余裕が生まれ、結婚や出産といった人生の重要な選択を、将来への不安から断念する必要もなくなります。学生ローンの廃止は、単なる金銭的援助ではなく、若者が自らの意思で人生を定義し、再び未来を肯定するための「真の構造改革」となるはずです。
デジタルロボティクスを活用した分業化
収入を2倍にする
6. まとめ:これからの未来のために
繰り返しになりますが、私には少子化問題が単純に「賃金」や「経済」だけの問題だとは思えません。確かに待機児童の問題を解消することや子育て支援金などは重要です。けれどもそれが問題の本質ではないはずです。もっと人間の人生観に関わる根本的な部分にこそ、少子化の真の問題があるように思えてなりません。これは日本人だけでなく、文明社会に生きる人類への深い問いかけだと思います。
お金を中心に機能する今の世の中においては、「コスト」と「効率」という価値観が一般化しましたが、ときに人間らしい「幸せ」や「喜び」というものは、「手作り」や「子育て」に代表されるように、不確実性と非効率の中にあります。逆の言い方をすると、現代人にとって「出産」や「子育て」とは、それに伴うコストと理想の生活を天稟にかけて価値を差し引きした結果、見送られざるを得ないのです。これを現代では、幸せの多様化と言います。けれども実際には、幸せの定義が多様化したというよりも、幸せの定義が曖昧になり、人々は幸せとは何かに戸惑い、今目の前にある「幸せだと思われるもの」を手放したくないと考える人々が増えているように私には見えます。
残念ながら私には子供がいません。だから私は祖母が願った「孫と一緒に楽しい時間を過ごす」という幸せを理解することは生涯ないだろうと思います。そして両親も「お前の子供が見たかった」と私に言いますが、これはただのプレッシャーではないと私は思っています。両親は、子供がいることの困難と幸せを知っている。だから孫がいる幸せは、もっと幸せに違いないと考えているのではないでしょうか。その期待に応えられないことを、心から申し訳なく思います。
学校教育の場も、そんな世の中の混乱に影響されていたように思います。小学生の頃は夢を持ちなさい、未来は明るいという雰囲気がありましたが、中学校からは逆に「夢なんか見るな」という教育に切り替わりました。どういうわけか教師たちも疲れ果てている印象でした。高校生から読むようになった新聞には、毎日のように日本の景気が良くないことを伝える文言が踊っていました。
私たちの世代が就職活動を行った2005年時点での新卒での有効求人倍率は1.3倍、新卒以外の正社員の有効求人倍率は0.8まで回復していましたが、社会のどこに行ってもコストカットの雰囲気が付き纏い、自分が社会の捨て駒にならずに仕事をやり抜くのには相当のプレッシャーを感じていました。こんな風に私たちの世代は、世の中の不景気の雰囲気のシャワーをふんだんに浴びて、社会への第一歩を踏み出した。
そのため私たちの世代は特に経済的な不安に備えなければならないという意識が強く、その意識が後の世代の人生観にも影響を与えてしまったのではないかという気がしています。こうして振り返ってみると、お金がなければ幸せにはなれない、と多くの人が考えるようになったのには、十分に納得できる理由があったことがわかります。
気がついたら、あっという間に30代になっており、やっと少し生活の中に時間的な余裕ができてきたと感じたのは30代後半になってからだったように思います。私の世代の30代後半における既婚率は男性が約62.5%、女性が約70.5%となっており、その中の何割くらいの人が「出産・子育て」を選択するのかを考えると、少子化ということが当然のように思えます。
ただし、私は声を大にして次の世代のために言いたい。幸せな家庭を築くということが、私たちにはできませんでした。私たちは幸せな家族を築くという模範を、若い世代のために十分に示すことができなかった。その結果に私たちの世代は傷ついているのかもしれないし、これから先も、私たちには子供が居ない孤独が待っているのかもしれない。けれども、今若い人々にはまだ私たちの世代に出来なかったことをやれる可能性がたくさんあります。
どうか、安価な幸せに惑わされずに、お金では買えない本当に価値のある幸せを手にいれることから、逃げないでほしい。簡単なことではないだろうと思います。大変な苦労もするかもしれない。しかし、それは価値ある幸せだと思います。
どうか、あなたたちの世代には、人間として十分に幸せになってほしい。そしてその幸せを、その次の世代にも繋いでいって欲しい。本当の意味で豊かな日本を、築いていって欲しい。そのためになら、私たちの世代は喜んで、そのための礎になります。
これからの日本の繁栄と発展を心から願い、この記事を終わる。
世間では仕切りに「移民反対」が叫ばれているが、そもそも 移民がなぜ必要なのか を考える報道や議論はほとんどありません。この移民問題は、本来「少子化問題」と関連づけて考えられるべきテーマのはずです。
あなたは人生の手触りを大切にしていますか?
































