1945年、第二次世界大戦終盤におけるアメリカ合衆国によるによる広島・長崎への原爆投下から、81年が経ちました。そして間も無く、日本の敗戦により第二次世界大戦が終結してから、81年が経ちます。
まずは、原子爆弾で犠牲になられた多くの方々の御霊に、そして戦争で犠牲になられた多くの日本人、世界中の方々の御霊に、哀悼の誠を捧げます。
もう二度と、日本を戦火に巻き込まないために、私たちは全力でできることをし続けなければなりません。毎年この時期になると、その決意を改めて胸に刻む想いです。
今日は、そんな強い思いから、少し思い切って、現在の私たち日本人の在り方について、考えてみたいと思います。実はこの文章を書く前に、もう一つ別の文章を書きました。「戦争のない世界をつくるために」と代されたその文章は、少し長くて、少しだけ複雑です。ですからその文章を読んでいただく前に、もう少し別の視点から、現在の日本人と世の中についての問題定義をしておいた方がわかりやすくなるだろうと考え、この文章を書き始める次第です。ですから、以下の文章をお読みいただいた後で、よろしければ「戦争のない世界をつくるために」もご一読いただけますでしょうか。
1.私たち日本人はどこに向かっているのか
わたしたち日本人は今、かつての日本の歴史に例がないほどに、心の豊かさを失いつつあるように感じています。2020年代半ば以降に実施された各種調査によると、生きる意味や目的というものを一生懸命に考えたり、それらを他人から提示されなければならない、そんな状況があるように思えます。
内閣府が実施した『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』において、日本の若者・現役世代における「自分自身への満足感」および「将来への希望」の指標は、欧米諸国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス等)と比較して著しく低い水準(最下位クラス)に留まっています。特に「自分には誇れるものがない」「何を目標に生きていいかわからない」と回答する割合が半数を超えており、自律的な人生の目的を見出せない「精神的漂流」が数値として顕在化しています。
さらに、厚生労働省の『労働経済の分析(労働経済白書)』が示す労働意識の変化を辿ると、かつて労働の強力なインセンティブであった「社会的地位の向上」「昇進」「高収入」といった目標の優先度が低下し、代わりに「生活を維持するため」という消極的・損得的な動機が圧倒的多数を占めるに至っています。生きるための手段であったはずの労働から「自己実現」や「やりがい」といった手触り感が喪失した結果、日々の活動が単なる「コスト」や「損得勘定」に成り下がり、生きる意味そのものが空洞化しています。
この目的意識の空洞化は、行動様式における「極度な受動性」と「他者依存」を加速させているように思います。各種マーケティング機関が発表している『タイパ(タイムパフォーマンス)志向と情報消費に関する意識調査』によると、Z世代から40代までの層において、動画の倍速視聴やネタバレ・あらすじの事前確認を行う割合が6割を超えています。これは単なる時間効率の追求ではなく、「失敗を恐れ、あらかじめ他者から『見る価値(=意味)』を提示・保証してもらわなければ行動できない」という心理的依存を示しています。
また、リクルート等の働き方意識調査に示される「正解主義」と「マニュアル依存」の拡大も、同様の構造を示しています。「主体的なキャリア形成(自己決定)」が謳われる一方で、職場においては「具体的な正解の指示」や「評価基準の明確化」を求める声が増加しています。自由を与えられた結果、自力で価値判断を行うことができず、「どう生きればいいのか」という強い不全感に陥る――すなわち社会学者のエーリッヒ・フロムが提唱した「自由からの逃走」ならびに「自由の刑」と呼ぶべき状態が、データとしてすでに浮き彫りになっているのです。
2.現在の日本の社会の性格について
戦後の日本は、街並みや経済を急速を再建する一方で、社会構造や思想については、戦前の日本を完全に否定することから出発しました。それは「GHQによる占領政策(外部からの強制)」と、「日本の知的指導者・思想家たち(内部からの自発的転換)」、そして「戦争に疲弊した国民の心理」という3つの要素が複雑に絡み合った、歴史的な必然性から生まれた決定だったと思います。
それはつまり、もう二度と「戦争を許容し続けた国や社会の雰囲気」の出現を許さないために、国民一人ひとりが自律的な当事者意識を持つために「主体的な個の確立」や「戦前の無責任体制の否定」を目指すというものだったように思います。しかし残念なのは、皮肉にもその「戦前の日本の否定」の論理が、いつの間にか「国家」「国防」「公の責務」といった概念そのものを「悪」と捉える極端な忌避感が生まれてしまったことです。その結果、権利や自由だけを教授し、それらを維持・防衛するための「責任」「犠牲」「当事者性」を徹底的に排除・否定する考え方や風潮が根強く残ることとなり、現在に至ります。
このことが、先に挙げた各種調査の結果と明確に結びついうているのではないかと私は思います。先に挙げたデータが示す現代日本人の意識構造は、単なる「モチベーションの低下」や「効率化への傾倒」といった表面的な問題にとどまらず、「自己決定権の放棄」と「他者依存的な正解の追求」が構造化してしまった精神的危機であるように私には見えます。今の私たち日本人は、働くことに消極的で、他人との会話を煩わしがる一方で、不平不満を撒き散らしてしまいます。
それは、80年以上戦争から遠ざかった平和の裏返しであると同時に、様々な娯楽や情報が生活の中に入り込んだ結果、自由と責任を切り離した身勝手さが広がり、かつての日本人が持っていた精神的な美徳が失われてしまった弊害なのではないかと考察します。
そしていつの間にか私たち日本人は「効率」と「働くこと」を対照的な価値観として捉え始めてしまいました。近年では「タイパ」という言葉が流行し、本来は他者目線でその意味と価値を考えるべき労働についてまで、自分目線でその価値を考える生き方が市民権を得ているのが現在の私たちの日本です。
現在の日本には、確かに楽をしてお金儲けをしている人がいるのでしょう。そういう人たちがSNSなどで宣伝している豪華な暮らしを目の当たりにしてしまえば、真面目に働くことが馬鹿らしくも思えてしまうのかもしれません。
しかしここで明確に断言できることは、「労働」は人間に与えられた美徳であるということです。働くということは素晴らしいことであり、世の中の基礎であり、人生の基礎なのです。
古来から、働き者のリーダーと働き者の労働者が多い国は大いに栄えました。しかし時代が移り変わり、働き者が少なくなった国は、滅びていきました。共産主義や社会主義がうまくいかなかった理由は明確にここにありました。世の中は平等ではないし、平等であってはなりません。しかし、公平でなければなりません。頑張った人は頑張っただけの報酬を得られて、誰もが皆、頑張ったり社会に貢献する機会や責任を負っている、そんなシンプルな世の中が、最も平和で健全な社会だと私は考えます。
しかし現在の日本では、収入を増やしている人が多くいる一方で、頑張った人は頑張っただけの報酬を実感できずにいる人々もおり、頑張り方がわからなくなってしまった人も多くいる、という現状がほとんど放置されてしまっているということが問題なのだと考えます。
3.私たち日本人が失ったもの
かつての日本には、働くことを尊び、袖振り合う縁を大切にし、学ぶことを楽しむ風土がありました。その気質があったからこそ、明治維新や戦後の焼野原からの驚異的な復興を成し遂げられたはずです。もし今の私たちが同じ状況に放り出されたとして、果たして同じ成果を上げられるでしょうか。
現代の私たちは、あらゆる問題を自分のこととして捉えるのをやめてしまいました。制度のせい、他人のせい、環境のせいにして、誰かが解決策を決めてくれるのをただ待つだけの存在になってしまったのです。そして政治もまた、国民の無関心に乗じ、説明責任や国家の行末を置き去りにしたまま、目先の利権や経済的利益の最大化に終始しています。
世の中が歪んでしまった根本には、政治や経済の不全だけでなく、私たちの価値観があまりにも「経済」や「損得」に偏りすぎてしまったという問題があります。
自らの足で立ち、自らの頭で考え、痛みを分かち合いながら未来を創る――その精神的な成熟を取り戻さない限り、私たちはこの空虚な漂流から抜け出すことはできません。だからこそ今、平和や戦争、そして「人間とは何か」という原点の問いに向き合わなければならないのです。
































