連載第3回。日本を近代化へと突き動かしたものは、単なる野心ではなく「対等でありたい」という悲願でした。不平等条約とノルマントン号事件。そこにあったのは、言葉の壁を越えた「命の選別」という冷徹な現実でした。
安政五カ国条約と不平等の現実
この時代に日本が外国からどう見られていたか、当時から日本の文化や芸術や民度に感嘆した外国人はたくさんいたが、そうではなく軍事力と国力がどう評価されていたか、そして当時の日本と外国の関係性を最もよく表現ているのは、1858年に江戸幕府とアメリカ合衆国、オランダ海上帝国、ロシア帝国、大英帝国、フランス帝国との間で結ばれた「安政五カ国条約」であろう。
おそらく日本では「安政五カ国条約」の中でも特にアメリカ合衆国との間で結ばれた「日米修好通商条約」が有名であるが、江戸幕府は同様の条約をオランダ海上帝国、ロシア帝国、大英帝国、フランス帝国とも結んでいた。そしてこの「安政五カ国条約」とは、日本にとってとても不利な取り決めがされていたため、不平等条約として有名である。この条約の要約は以下のとおりである。
- 開港地の追加
- 外国人居留地の設定
- 自由貿易の承認
- 領事裁判権の承認
- 日本の関税自主権の喪失
特に問題だったのは最後の2つである。領事裁判権とはつまり地外法権のことで、仮に外国人が日本で罪を犯しても日本の法律で外国人を裁くことができないことを明記したものであり、関税自主権の喪失とは、外国の商品に日本が関税をかけて日本の産業を守ることを放棄することを明記したものである。
加えてこの時期、日本から海外に大量の金が流出する。これは日本と諸外国とで「金銀比価」に大きな差があり、それに目をつけた海外の商人たちが日本で大量の金と銀を両替したことにより発生した。当時の日本国内では金1に対し銀5の交換比率が一般的だったが、海外では金1に対し銀15が必要だった。だから外国人商人たちはまず海外の銀貨を日本の銀貨に交換し、それを日本の金貨に交換するだけで莫大な利益を得ることができたのである。そのため大量の金貨が日本から海外に流出し続け、江戸幕府はこれを止めることができなかった。
そしてやむを得ず江戸幕府が金の含有量を大きく減らした「万延小判」を発行したが、当然ながらこの処置は日本における小判の貨幣価値を低下させ、日本経済に大きなインフレを引き起こし、庶民や下級武士の生活を困窮させる原因となった。このストレスは幕幕末の尊皇攘夷や討幕へのエネルギーを生み、明治維新を加速させる要因ともなったと考えられるが、明治維新が成立すると、日本人は外国人との不平等な関係に気づいていくことになる。その象徴的な出来事が、1886年に発生したノルマントン号事件である。
ノルマントン号事件:選別された命
1886年10月24日、横浜から神戸に向かっていたイギリスの貨物船ノルマントン号が和歌山県大島沖で暴風雨のために座礁し、沈没した。 その際、乗組員30人のうちイギリス人船長以下26人のヨーロッパ人は救命ボートで脱出できたが、インド人火夫と日本人乗客25人は船中に留まり、全員死亡した。この結果には人種差別により白人の命と白人以外の命が選別されたということが明白であるが、イギリス人によって行われた裁判においてノルマントン号の船長には刑罰が課せられることはなかった。
この事件はヨーロッパ人からの日本人に対する人種差別と、日本人とヨーロッパ人は対等ではないという不平等条約の存在を浮き彫りにした。最終的に多くの日本人の怒りが日本政府を動かし、日本政府が船長らを告発した。裁判は神戸から横浜のイギリス領事裁判所に移され、1886年12月8日、船長へは職務怠慢で禁固3か月の判決が言い渡された。 しかしそれでも、たったの3ヶ月である。日本国内で外国との不平等条約の改正を求める声が高まったことはいうまでもない。そしてその後の日本政府の悲願は、日本の独立の維持と、諸外国と結んだ不平等条約の改正である。しかしそのためには、国際社会で他国と対等の関係を築くための軍事力と、軍事力に裏打ちされた発言力がどうしても必要だった。
列強諸国とロシアの南下
話を1800年代の世界に戻す。先に少し触れたように、帝国主義に支配されたいた当時の世界には様々な帝国が存在した。大英帝国、フランス帝国、ロシア帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国、オランダ海上帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、アメリカ合衆国であり、これらの帝国は1800年代に「列強諸国」と呼ばれ世界中に植民地を有した強国である。私たちに馴染みがある名前が並んでいるが、現在においてもヨーロッパやアメリカ大陸で大きな力を持っている国々は、もともとは帝国だったのである。
唯一アメリカ合衆国だけが今も昔も同じ国名で存在しているが、アメリカ合衆国も帝国の一つだった。ここでいう帝国の定義とは、他国を武力で制圧して支配・搾取し、被支配国を食料、石炭・鉱物などの天然資源、奴隷貿易のための人的資源の供給源にすることで莫大な利益を得ていた国である。地図を思い描きながらわかりやすくいうと、ヨーロッパには帝国の本国が存在し、アフリカやアジアはそのほとんどが帝国の植民地だった。
特にアジアにおいては、第二次アヘン戦争で清国が大英帝国とフランス帝国に敗れ、その国土が様々な帝国が利権を貪る半植民地状態と化すと、タイと日本だけが、アジアにおいて他国の植民地ではない独立し国として存在していた。そしてこの時期、ロシア帝国は南下政策を推し進めていた。このことがその後100年にわたって日本の行く末に大きく関わっていくこととなる。
「日清戦争の真実と、獲得した権利」。防衛の緩衝地帯を求めた日本の決断。
【連載4/7】南下してくるロシアの脅威を前に、日本は防衛の緩衝地帯として 朝鮮半島の独立 を促します。しかし、そこには複雑な国際社会の思惑が作用し、日本の防衛が危ぶまれます。
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