ドアを開けると、そこにはいかにも人間の匂いがする。キッチンの灯りをつけると、シンクの中に昼食の皿が洗われないまま置いてある。皿は洗っておけと、オジュドゥにはいつも言っているのだが。もしかしたら調子が悪いのかもしれない。
オジュドゥは静かにベッドで寝ていた。もう老いて体の自由が効かなくなったオジュドゥの体がそこにある。オジュドゥの寝息は平穏であるけれど、彼がこの瞬間を渾身の力で生きているのではないかと思われるほどに、体の力を必要としているように見える。静かだが力を込めてくーっと吸い、脱力して息を吐く。老いを重ねると、ただ生きるということそのものが重大な仕事になるのかもしれないと、ウッラは思った。体の調子が良いかどうか、ウッラはオジュドゥに声をかけてみる。オジュドゥは目を醒まし、ウッラの問いかけに弱々しく応じた。至って平穏である、と。
ウッラがこの国に来たのは、もう三十年ほど前のことである。祖国であるバングラディッシュにはおよそ経済といえるものが無く、仕事も食い扶持もなかった。いまでは繊維産業が進んで雇用も生まれていると聞くが、どうだか。国土の多くがデルタ地帯に位置するため水が豊かで土壌は肥沃であるが、それ故に度重なる洪水やら干ばつは農作や人々の暮らしの発展に直接的に大きな被害をもたらす。公共事業で治水対策を行えばなどという者もあるが、政治など汚職がひどくて、ごく限られた人物に金を運ぶための一個の仕組みに過ぎない。地方行政などは無いに等しい。政治など、まるで遠い星の話でもしているかのような別世界話に過ぎない。なのに国内には人口が多く、とてもすべての人々が働いたり食っていくことなぞ、望めなかった。家族を養うために多くの者が国を出て出稼ぎ労働者になった。政治の世界ではそれを、「労働力の輸出」と言っているらしい。ウッラも、両親と兄弟を養うために国を出て、出稼ぎ労働者となった。そしてこの国にきたとき、世話をしてくれたのが、オジュドゥであった。同じ祖国を出た者たちが共同で暮らす住居を教えてくれたり、仕事を探す手伝いも、言葉のわからない自分の代わりに、人と話をしてくれたこともあった。そこから思い起こせば、あっという間に時間が過ぎた。今では想い起せないことが多いが、基本的に自分は、身を粉にするように、心がなんたるかということすらも粉の様に流れ去ってしまう程に働いてきたと思う。いつの間にか、仕送りをして養っていた両親も亡くなり、兄弟も、今となっては妹が一人、祖国の農村に嫁いでいることがわかるくらいである。弟たちもひょっとしたら自分のように、祖国を出たのかもしれない。気が付けば、妹への仕送りとオジュドゥを食わせることが自分が生きるすべてになっている。そのことはいい。オジュドゥから受けた恩は一生をかけて返すに値するものであるし、自分からの仕送りが妹家族の生活の足しになるのなら、それは喜びに値する。けれども目の前で眠るオジュドゥを見て思うのである。自分も、いつかは、こうなるのだろう。外国人の自分たちにはなんの保証もないこの国で、老いた者は誰か働ける者が養っていかなければならない。自分のときは、いったいどうなるのだろうか。
オジュドゥに食事をさせて、自分も食べ終わった後、洗われぬままの食器と鍋を眺めてウッラは思った。今はただ、少しでも長く店で働き続けることが大切である。オジュドゥと生きるために。その後のことなど、いまはまだ、考えなくても良いのだ。なにか楽しいことを考えよう。楽しいことといえば、そう、今日も楽しいことがあった。今日は客がいなくて暇だったから、アイカが遊びで、ポストイットに従業員たちの名前を異国の言葉で書いて遊んでいた。アイカは一枚のポストイットに、俺の分も書いてくれた。読めない文字だったが、「ウッラ」と書いてあるらしい。そういえば、今日というかこの頃は、楽しい気がする。あまりに素朴すぎて気が付かなかったが、そう、この頃は、楽しい。また明日、また明日も、こんな気持ちがあるだろうか。明日この気持ちがなかったら、明後日は、またあいつらがいたら、この楽しさはまた訪れるだろうか。
膝を抱えて座った窓辺から、月が見えた。満月だった。昼頃まで雨が降っていたからか、この街の汚い空気がいくらか澄んでいるようで、月が心なしか明るく見える。オジュドゥの寝息が聞こえる。オジュドゥもかつて、こんな気持ちを抱えたことがあったのだろうか。ここには差別があり、人間の悪意など当たり前のように共存しなければならない。そんなことはごくごく日常で、あまりにも当たり前で、仕事にありつけることだけでも奇跡的な幸福のように感じて生きてきた。誰からも愛されずとも、人から疎まれながら働き続けようとも、それが自分の人生なのだと割り切って生きてきた。けれども、けれども、この小さな、けれども閉じ込めることが難しい感情はどうだ。このわずらわしい感情はどうだ。「もっと豊かに、生きてみたかった。」まだ、間に合うだろうか。どこかで、それをしようか。けど、いったいどこで。例えば国に帰れば、人との関係はいまよりも容易に築けるのかもしれない。けれどもそこに仕事はない。自分もオジュドゥも、路頭に迷うことになる。この手とこの体で、少しでも長く、働いて行かなければならない。
月明かりに照らされた自分の手を眺めていると、なぜか母のことを、思い出した。老いた母の記憶ではない。そもそも老いた母には、今思えば会ったことがないから、幼い頃の、母の記憶である。あの貧困の中にあったあの母の感覚。あれはいまにして思えば、安心感だったのだろう。愛情にふれる感覚だったのだろう。これから二度と、自分が触れることが無いかもしれない、感覚である。急に、世界の中で自分が独りぼっちなように思えた。このままただただ老いてゆくことが、たまらなく恐ろしく感じられた。ウッラは自分の膝を強く抱えた。今夜は冷えると、思った。
膝を抱えたまま夜が白み始めた。自分の前腕をさすると、冷たい。冷えている。ウッラは布団に潜り込んで目を閉じた。少しウトウトしたと思ったが、部屋の明るさに何気なく頭をもたげてみると、窓からは強い午前の日差しが流れ込んでいる。時計を見ると、出勤時刻が近付いていると思った。あわてて家を出て店に向かった。昨夜のわずらわしい気分が抜けないまま歩いていることが手伝ってか、陽気も、街路樹の若葉も、いつもより陽気に見えるバスのオレンジ色も、とにかく色んなものがわずらわしく思えた。ただ一つ、陽に濡れた広場の銅像が偉そうにすべての人を同じように見下すことだけが、気分がいい。そんな想いを抱きつつ店に辿り着いたのに、店にはまだ鉄格子のようなシャッターが閉まったままで、付近に他の従業員の姿も無い。
***
あの二人の若者たちが、悪いのだ。昨夜眠ることが出来なかったのは、あの二人のせいに違いない。ソンが店に来るまで、まだ時間がある。家に帰るには時間が足りず、カッフェを飲みに行く気分でもない。ウッラはそのあたりの車止めに座り、ソンを待つことにした。ウッラの頭上には陽が透けるような街路樹のリンデンバウムの若葉が茂り、明るい陽光が薄い若葉を透けて降り注いでいる。木から時折落ちてくる何かを振り払いながらウッラは思った。あの二人も、これまでにいた他の若者たちと同じように、そう遠くない将来、ここを出ていくに違いない。アイカのあの親しみが消え、自分に対して唯一敬語で話すイタルが消え、自分をつっつくイタルの指先が消えた後で、いま自分のなかに芽生えてしまったこのわずらわしい気持ちはまた、薄らいでゆくだろうか。老いだとか、突き詰めれば死に対する恐怖は、また薄らいで消えて行くだろうか。まるでまた、麻痺するようにでも。それとも、少しずつ、膨らんでいくのだろうか。フツフツと、なべの底から湯が沸いてくるように。
今は春である。すぐに長い夏がきて、そのあとはあっと言う間に木々が枯れて、また長い灰色の冬が来て、またいつか春がくる。回転する歯車の様だと、ウッラは思った。自分もきっと、その歯車の中に組み込まれて廻っている一個の部品なのだろうと、思った。ただ同じ歯車のなかにある木々と自分が決定的に違うことがある。木々はいくら歳をとっても、春になればこんな風に、若々しい姿を見せるのである。人間には真似のできない命の形を持っていると、思った。自分には出来ない生き方である。
けれども、とウッラは思った。小柄だが懸命に働いてきたこの体は、六十歳を前にした今でもよく動く。機敏に動くこともできるし、梯子を上って作業することもできる。まだまだ、動いてくれそうな気がする。まだまだ、ここで生きられそうな気がする。昔誰かが言っていた気がする。
―――死は門である。
死が門であるならば、眠ることも門と言えるのだろうか。だとしたら朝になって目覚めることも、ひょっとしたら笑うことも、笑われることも、罵倒されることがあってもそれは「何かの門」だといえるのだろうか。だとしたらそれはそれで、面白い。そんな空想をすると、そこにはまるで何かを選んだ時の様な、些細な強さにも似た感覚があった。まるで、いま自分がこれからも生き続ける覚悟を決めたかのような、そんな感触がある。これが覚悟というものなのだろうか。いや、覚悟なんていう大袈裟なものではないだろう。ここは自分にとっては世界の孤島であるけれども、助けを呼ぶほどのことはなく、仮に助けを呼んでも、誰も来ない。だからこの感触は、絶望しないための諦めと言ってもいいだろう。けれど自分はこれから、きっともう簡単に絶望を想像したりはしないかもしれないと思った。そこには「今ある気分」意外に何の根拠もないのであるが。
ウッラはふと、頭上を見上げた。若い緑を透けて降ってくるこの陽光も、そうだ、わずらわしいが、かといって嫌なものでもない。そういえばこの景色を、美しいと、言うのだったか。これからこの緑も濃くなって、陽の光など通さないほどに、強くなっていくのだろう。まるでそこに時間の流れが見えるようだと思った。そしてその時間の中で、今あるこの気分を見失いたくないと、ウッラは思った。どうすればいいか。しばらく考えた後、答えが見つかった。毎日、木々の葉を見よう。今の自分と同じように木々を見て、この気持ちを確認しよう。木々に葉がなくなったら、葉を待ち望んで枝を見よう。ウッラは再び鉄格子のようなシャッターが下りたままの店に視線を戻した。まるで自分が生きる場所を確認するように。
ウッラの頭上に茂る街路樹の緑は、リンデンバウムの若葉である。リンデンバウムには、肉体や精神の疲労を癒す効果があるのだという。だからリンデンバウムの葉や花は、ハーブティーとして人々に親しまれている。ウッラがハーブティーを知っているかどうかは知らない。けれども彼がこの並木の下で過ごしたこの時間は、ひょっとしたら人ではない何者かが、ウッラに与えた休息の時であるのかもしれない。
終わり



























