雨ニモマケズ
宮澤賢治
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋からず ※(瞋からず=怒らず)
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
*** (原文まま) ***
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
***
この詩は、宮沢賢治によって1931年11月頃に書かれたと推測される。この作品は、つまりは作品・詩として世の中に広く知られているが、賢治が1933年に肺炎のため37歳で亡くなった後、遺品整理の際に賢治が使っていた手帳に書かれたメモが発見され、詩として発表されたものである。この「雨ニモマケズ」のみならず、宮沢賢治の作品として現在では知られているほとんどの作品は、彼の死後に友人たちによって発表され、出版されたものである。
この作品は、当時の日本人の精神性というか、宮沢賢治という人物が人のみならず生きとし生けるもの全てに対して持っていた情愛、謙虚さ、そして悲しいくらいの”ひたむきさ”を読む者に感じさせる。
2025年に生きる日本人は、この作品をどのように読むのだろうか。ワーク・ライフ・バランスがおかしいというのだろうか。それともこの作品の良さが、わからなくなってしまったのだろうか。否、まだまだこの詩を読むことができる日本人も大勢いると信じる。実はIgnissionの筆者も、この作品を初めて読んだ小学校5年生の頃、すごい作品だということはわかったが、このような人生を自分が送ることに恐怖を感じた。つまりは、この作品の良さというか魅力を、よく理解することができなかった。しかし間も無く41歳を迎える今、当時とは全く違った見方をしている。
宮沢賢治という人物は、どうやら本当にこのように生きたかったのである。音楽と詩作を愛した彼の37年の生涯は、仏教信仰と農業、そして執筆生活に捧げられた。非常に裕福な家に生まれたため、彼は金銭的な究極の恐怖を理解する人ではなかったと想像するが、日蓮宗に傾倒してからはほとんど僧侶のような生活をしながら執筆活動を続けた。
信仰心と言ってしまえばそれだけだが、この作品には、昔の日本人が大切にしていた観念が凝縮されているように思う。それは他者への無性の愛である。不思議なことに昔の日本人は、自分のために働くよりも、他人のために働くときの方がより強くなり、自分のために働くよりも、他人のために働く方がよりやり甲斐と幸福を感じたのである。貧しいことは決して恥ではなく、持っている・持っていないに関わらず、強欲で足るを知らないことが無知であり、他人の痛みを理解しない利己的な生き方こそが醜悪だった。
2025年に生きるIgnissionの筆者もまた、貧乏は嫌である。良い服を着たいし、良い酒を飲みたい。けれども、ときどきこの作品を読み返すとき、昔の日本人の困難や当時の世の中、そしてそこに生きた日本人のひたむきさと純粋さを想うとき、この作品に紡がれた言葉の一つ一つが、まるでキラキラと輝く宝石のように感じる。それは今の私たちが今一度再認識しなければならない、人が人として持っているはずの美しさに他ならないのではないか、そんな風に想う今日この頃である。
おわり































