私はこれまで、イタリアの地で日本の優れたプロダクトを広めようと奮闘する営業担当者たちの姿を、数多く目撃してきました。同時に、彼らが置かれているあまりにも過酷な現実と、日本企業の海外進出における構造的な歪みに、何度も胸を締め付けられる想いをしてきました。
crascul(クラスクル)という事業は、机上の空論や華やかなビジネスプランから生まれたものではありません。現地で孤独に消耗していく営業マンたちの姿を遠くから眺めながら、「どうしても彼らの力になりたい、手伝って差し上げたい」と心の底から湧き上がった切実な想いこそが、この事業の原点です。
イタリアの地で目にした、ある営業マンのボロボロの靴
ある会社の営業担当者と知り合ったときのことです。彼女は日本の素晴らしい商品を背負い、イタリアへ出張にやってきていました。しかし、私は初対面の彼女の雰囲気やエネルギーになんとなく違和感を感じてしまいました。その違和感の理由は、海外に営業にやってきたはずの彼女が抱える様々な行動制限にありました。会社から支給されていたホテル代のサポートは、1週間でわずか200ユーロまで。ミラノの相場を考えると、とてもまともなホテルには止まることはできません。現在のヨーロッパ、特に展示会やシーズン中の都市部において、この予算で見つかる宿は限られています。
結果として彼女は、中心地から遥か彼方に離れた郊外の安ホテルに泊まらざるを得ませんでした。空港からも遠く、市街地へのアクセスも最悪な場所です。さらに信じられないことに、日々の食費代さえも支給されておらず、すべて自腹。商談相手や現地の取引先の人に食事を奢ってもらっているような、歪んだ状態になっていたのです。
また、別の会社の営業マンも同じような境遇でした。やはり郊外の格安ホテルにしか泊まれず、食費も交通費も出ない。不便で非効率なバスや公共交通機関を必死に乗り継ぎながら、イタリアの郊外や田舎の取引先を回っていました。
世界中から「装い」や「美意識」に妥協のないプロフェッショナルたちが集まり、洗練された空間でビジネスが行われる国、イタリア。誰もが身だしなみに気を配るその街の中で、必死に歩き回る彼の靴は、ボロボロに傷ついていました。
その姿を遠くから眺めていたとき、私は胸が締め付けられるような猛烈な違和感と、切なさを覚えました。彼らは決して怠けているわけではありません。むしろ、会社の期待を背負い、慣れない土地で誰よりも必死に、誠実に動いている。それなのに、あまりにも現地の情報や商習慣を知らず、あまりにも現地の人々との価値観が違いすぎて、交渉のドアをノックスらできないような状況が、数多く見受けられました。そして本来は彼らをサポートすべき企業側が強いる環境があまりにも過酷に私には見えてしまいました。
大切なことは、海外展開は「無謀な試み」として取り掛かれば高確率で失敗しますが、しっかりと覚悟を持って腰を据えて戦略を練り、市場や商品を使う人の文化的な文脈を考え抜き、必要な努力をすれば結果を出すことは可能だということです。私たちはcrasculは、そのためのお手伝いをするために、このイタリア・ミラノで生まれました。
crasculが考える海外進出
多くの日本企業が陥っている罠があります。それは、数十万円もの航空券や事前の準備費用を投じて「海外出張へ行くこと」そのものがゴールになってしまっている、という点です。イタリアに来て飛び込み営業のような活動をされている会社さんを時々お見受けします。果たしてそこには、どのような勝算があるのでしょうか。古来の兵法書「孫子の兵法」にもこうあります。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず、彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。」これはビジネスにおいても全く同じことだと思うのです。特に海外展開において市場とは、いうなれば敵地に乗り込んだようなものです。すでにそこには多数の海外の同業他社がおり、シェアを握っています。そこになんの戦略もなしに体当たりをして活路を開くことが、容易にできるでしょうか。多くの日本の企業が、この壁に直面しています。私たちcrasculは、この現状を変えたいのです。
限られた予算で消耗し、心に余裕をなくし、ボロボロの靴を履いて挨拶回りを繰り返す出張という「点」の活動では、ヨーロッパの市場に深く根を張ることは不可能なのです。日本の誇るべき技術やストーリー、情熱が、現地のリアルな現場でただ擦り切れていく。その光景を見るたびに、「この構造を根底から変えなければならない」という強い使命感に駆られました。
ヨーロッパ、特にイタリアのビジネスにおいて、大切なのは「商品のスペック」ではありません。素材、シャツ、パンツ、食器、インテリア、工業製品、食品、あらゆる分野において、イタリアにはすでにイタリア産・ヨーロッパ産の「高品質」もしくは「世界最高品質」の商品が存在します。ですからただ単に「品質」で勝負をしようと思っても、勝負にならないことがしばしばです。なぜなら多少の品質の違いならば、イタリアの消費者はイタリア産の商品を選び、安い商品が欲しい消費者ならば、日本産ではなく更に安い中国産の商品を手に取るからです。
もっというと、私たち日本人は「商品のスペック」「品質」ということにこだわりがちですが、そもそも品質とは一体なんでしょうか。「性能・耐久性・デザイン・ブランド力・安全性・加工精度・素材・価格とのバランス」これら全てを、品質と呼ぶことができます。つまり品質とは、見る人の文脈によって様々に変わるのです。しかしそれを私たち日本人は、曖昧にまとめて「品質」と呼んでしまっている。市場をマークする際にまず考えなければならないことは、どのセグメントの客層に対してどの品質を定義するのか、そしてそのコミュニケーションの軸となる価値観をどこに見出すのか、ということです。これがわからなければ、市場に対して有効な戦略を立てることができません。だから協力して、全力でここを考える。
時間をかけてお互いの「人間性」や「美学」「価値観」を確かめ合うプロセスこそが、商品と市場(顧客)との本質的な信頼関係を生み出します。
消耗する「点」の出張から、現地に深く「根」を張るビジネスへ
crasculが目指しているのは、日本の優れたプロダクトが、その価値にふさわしい誇りと美学を持って、ヨーロッパの市場に迎え入れられる土壌をつくることです。
文化や価値観、商習慣を理解し、人と人との信頼を積み重ねながら、時間をかけて市場を育てていく。その営みがあって初めて、商品は「輸出されるもの」ではなく、「市場に根付くもの」になります。
私たちは日本企業にとって、イタリアという市場を深く理解し、現地の視点で考え、行動し続けるパートナーでありたいと考えています。私たちが届けたいのは、商談の数ではありません。一度きりの取引でもありません。
日本のものづくりが、その背景にある思想や文化まで含めて理解され、長く愛される市場を育てていくこと。日本の生産者、ブランド、そしてヨーロッパのバイヤーやクリエイターが互いを理解し、信頼を育みながら、新しい市場を共につくっていくこと。その土壌を耕し続けることが、crasculの使命です。